~ギター少年と牡蠣グラタン~
どうにもいけ好かない奴だと、ずっと思っていた。
校則違反のふわふわした茶髪。かかとの潰れた上履き。授業中、退屈そうに頬杖をついた横顔。
いつも自然とクラスの輪の中にいて、基本的にヘラヘラしてて、誰にも物怖じしなくて、どこまでもマイペースで。
そのくせ、たまにふらりと消えたかと思うと、人気のない屋上に寝転んで一人ぼんやり物思いにふけっていたりする。
何を考えているのか、どれが本当なのか。
単純なようで掴めない。近いようで実際はずっと遠いところにいるような。
――逢坂波留斗。僕の目に映るあいつはそんな、得体の知れないクラスメイトだった。
-1-
ポーン、ポーン、ポーンと、ピアノの鍵盤をひとつずつ弾(はじ)く音が聞こえる。
昼休みの音楽室はいつになく騒がしい。
昼前から降りだした雨のせいで、いつもは校庭でボールを追っている連中が音楽室に流れ込んできているためだ。
教室よりも広い室内では、軽くひとクラス分くらいの生徒たちがあちこちに輪を作っている。
僕は一番後方の窓際に腰かけ、学校の備品であるアコースティックギターのチューニングをしていた。
ちなみに天候は関係ない。こうして音楽室でギターを練習するのは、僕の毎日の日課だ。
右耳で弦の音を捉えつつ、左耳から侵入して来るグランドピアノの音にも耳を傾ける。ボタンを掛け違えたような不快感に、僕は眉を寄せた。
――そろそろ調律した方がいいんじゃないか、あのピアノ。
「ねえねえ、波留斗くん」
ピアノの音に重なり、鼻から抜けるような甘えた声が聞こえた。
「んー?」
「何か弾いてよ、波留斗くんの弾き語り、聴きたい」
「……んー」
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン。
「この前、音楽の授業の前に弾いてた曲がいいなー。なんとかジョン、ってひとの、……なんだっけ。なんとかソング、ってやつ」
「んー」
“なんとかジョン”がエルトン・ジョン、“なんとかソング”がユア・ソングだと思い当たるまでに数秒を要した。
音楽室の前方にさりげなく顔を向けると、窓際に置かれたグランドピアノと、その周りに群がる数人の女子が見えた。輪の中に居るであろう“波留斗くん”の姿は、ここからは確認できない。
取り巻き女子たちの中に、クラスメイトの犀川愛子(さいかわ・あいこ)の姿を見つけた。輪から少しだけ距離を置き、グランドピアノに退屈そうに寄りかかっている。
いや、……“退屈そうに”という部分は僕の主観であり、ただの願望の表れかもしれない。
「ねー、ちょっとー。聞いてるの波留斗くんてば」
「んー?」
「もー、聞いてないじゃーん」
「んー」
いくら呼びかけても生返事を返され、女子の一人はすっかり拗ねてしまった。
――ドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシド――。
目を向けなくても、長い指が鍵盤の上をなめらかに走るのが分かる。優顔(やさがお)に似合わず男っぽい、力強いタッチだ。
「――やっぱりちょっと甘いな……」
不満そうな呟きが聞こえ、僕は再びピアノの方に顔を向けた。
「なにが甘いの? ハルトくん」
「んー、調律? 微妙に音がズレてるからきもちわるい」
「え、そんなこと分かるの?」
「何となくね。――だよねー、優羽真(ゆうま)」
のんびり呼びかけると、グランドピアノの向こうからニョキッと仏頂面が現れた。
「だな。これはそろそろ調律が必要だろう」
「――びっくりしたあ。居たの、優羽真くん」
もう一人のイケメンの登場に、女子たちがキャッキャと色めき立つ。
逢坂波留斗の顔にそのまま眼鏡をプラスしたような、そっくりな顔をした双子の兄。
逢坂優羽真だ。
気難しそうに見えるが、女子たち曰く「ムスッとしてるけど意外と天然なところが可愛い」らしい。
「優羽真くんもピアノ弾けるの?」
「まあ、波留斗と一緒に習わされていたから、少しはな」
「ホント仲良しだよねえ、二人って。クラス違うのに、昼休みとかいつも一緒にいるし」
双子たちは顔を見合わせ、
「えー、そんなことないでしょ。たまたまだよ」
「そうだぞ。言っとくが、先にここで本を読んでいたのは俺だからな」
心外、とばかりにそう言って、双子兄の顔はひょいと引っ込んだ。
何となく視線を向けたままでいると、犀川愛子と目が合ってしまった。慌てて目を逸らし、ギターを構える。
「ねえねえ、じゃあ、2人で一緒に弾いてみてよ、ピアノ」
先ほどのおねだり女子がしきりにせがんでいる声が聞こえる。
「連弾、聴きたい。いいでしょ、波留斗くん」
「んー」
少し考えてから、
「今日はやめとく」
「えー、どうして」
「雨だから」
「どういうこと、それ」
「ピアノが不機嫌なんだよ。雨の日は鍵盤重いし、今日はむり」
「なにそれー、結局は面倒なだけなんじゃないの」
「あ、バレた?」
「ひどい。なんでもそうやって誤魔化すんだもん。わたしのことなんてどうでもいいんだ」
「そんなことないよ、ちゃんと前髪切ったこと気づいたじゃん」
「それは切りすぎたからでしょ」
「違うよ、可愛いからだよ」
調子のいいことを言ってのらりくらりとかわし、呑気に猫ふんじゃったなどを弾いている。
対応が逢坂らしくて、なんだか笑ってしまった。
これはピアノに限らずだが、彼が周囲からの要望に応えることはまれだ。
気分が乗らなければ頼みごとやおねだりは一蹴される。「ねむいからむり」「だるい」「めんどくさい」そんな一言であっさりと。
明らかに自分勝手なのだが、逆にそれが女子の人気を集めるファクターなのではないかと最近気づいた。
恋愛慣れした彼女たちにとってみれば、なかなか自分の思い通りにならない相手はさぞ魅力的に映ることだろう。
ちなみに、すべて計算でやっているとしたら相当な策士だが、逢坂波留斗に限ってそれはありえない。
奴はそんな「めんどくさい」ことはしない。単に自分の本能に従って生きている、それだけなのだ。
だから時々、彼は周囲を戸惑わせる。
初めて話す相手に対しても、面倒な説明や前置きを省き、いきなり本題を話し始めるから。
たとえば、――。
僕と初めて言葉を交わした、あの時だってそうだ。
※つづく※
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表紙:ファンアート/水木由真さまより
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